v6の三宅健の母親の葬儀で河村和奈が目撃で熱愛確定?2人の出会いは?画像あり。

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三宅健さんは、1993年にジャニーズ事務所入所。1995年に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でV6としてデビュー。『親指さがし』で映画初主演。2018年7月、滝沢秀明さんとのユニット「KEN☆Tackey」でCDデビューすることが決まっています。

河村和奈さんは、大学在学中にグラビアでデビュー。『喝!リベンジナイト』のレギュラーに。2001年、『ワンダフル』の第5期ワンダフルガールズ(ワンギャル)に選ばれました。ワンギャル卒業後には女優として、ドラマ、舞台などに出演されています。

今回は、三宅健さんと河村和奈さんの熱愛について迫っていこうと思います。

三宅健の母親が死去

2010年6月、V6三宅健さんの母親が亡くなったことを週刊誌が一斉に報じました。

すい臓ガンを患い、闘病生活を続けていたV6三宅健(30)の母が、5月20日、都内の病院で死去していたことが分かった。23日、降りしきる「涙雨」のなか行なわれた告別式の模様を6月1日発売の「週刊女性」(主婦と生活社)「女性自身」「FLASH」(いずれも光文社)各誌が一斉に報じている。

三宅健さんはコンサートやロケで多忙の中、母親のお見舞いに足繁く通われていたそうです。

三宅の母が天国へと旅立ったのは20日午前1時20分過ぎのこと。今年に入って病状が悪化した母を気遣い、ツアーやロケなど多忙な仕事の合間をぬって頻繁に都内の病院へ足を運んでいたという三宅だが、臨終の瞬間には、病室で弟と共に立ち会うことができたという。幼い頃に父と別れ、女手ひとつで育ててくれた母の死。その哀しみは相当のものだったに違いない。

三宅健さんは母親の女手一つで育てられたそうです。苦労して育ててくれた母親の死は、悲しいという一言では済まされないでしょうね。

三宅さんの母親について調べていると、ちょっと気になるワードが…。

「三宅健 生い立ちが壮絶」というキーワードが出てきます。ただ、母子家庭で育ったというわけではないのでしょうか?

少しだけ、三宅健さんの生い立ちについて迫ってみます。

三宅健さんは、幼い頃に父親を亡くしたそうです。

三宅健は1979年7月2日に横浜市で生まれ、その後香川県に移ったようで小学校、中学校と高松市の学校に通っています。幼い頃に父親を鉄道事故で亡くし、母の実家である香川で母子家庭で育ってきたんですね。父の死因について一部では自殺ではないかとも言われていますが鉄道事故というだけで詳細まではわかりません。

鉄道事故で亡くした、自殺だったなど死因を挙げられていますが、詳細は分かっていないそうです。

鉄道事故と自殺が関係していた場合、故意の人身事故で電車を止めてしまうと、遺族はJRから多額の賠償金を請求されるそうですし、幼い弟さんもいた三宅家の生活が相当苦しかったことは容易に想像できます。
※父親の生死は不明。鉄道事故はあくまで噂です。

三宅健さんがジャニーズ入りを決めたのは、家計(母親)を助けるためだったといわれています。

三宅健さんがジャニーズに入所したキッカケは母子家庭となった母親を助けるためだったそうです。三宅の叔母がジャニーズ事務所入りをすすめて三宅本人が履歴書を送り、合格しました。

三宅さんは叔母さんの勧めもあり、ジャニーズ事務所に自ら履歴書を送り見事合格。三宅さんは新聞配達で家計を助けつつ、レッスンに通ったそうです。

長男である三宅は新聞配達で家計を助けながらジャニーズのレッスンに通ったそうです。

私の勝手な想像で、いつも明るい三宅健さんは、「姉が勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送った」「○○君に憧れた」「親が有名人」など、よくある入所エピソードだと思っていましたが、苦労されていたんですね。

こんなしっかりした理由で芸能界入りする中学生は珍しいのではないでしょうか?志望理由だけで合格させてあげたくなりますが…。

見て下さい、この美少年

こんなかわいい男の子が母親を助けるために芸能界入り・・・無条件で応援したくなりますよね!

中学生の頃から、母親を助けたい一心で頑張っていた三宅健さん。

最愛の母を亡くしたショックや悲しみは言葉では表現できないものだったでしょう。それでも葬儀では涙を見せず気丈に振舞っていたそうです。

喪主として、メンバーの前でも気丈に振る舞い、一切涙を見せなかったという三宅。しかし式が終わって張りつめていた糸が切れたのだろうか。親族だけになった火葬場では、母との最後の別れを惜しみ、号泣する姿も見られたという。

親族だけになった火葬場で三宅さんは号泣されたそうです。メンバーの前でも涙を見せなかったのは、仕事仲間であると同時に第2の家族であるメンバーには落ち込む姿を見せて心配させたくなかったのではないでしょうか。

葬儀から数日後、母親の死について連想させることを「にこにこ健」に綴ったそうです。

 

ブログで悲痛な心の内を吐露

母親の葬儀から一週間後の5月30日。三宅さんは、ジャニーズ公式携帯サイト「Johnny’s Web」で連載している「にこにこ健」の中で、こんな文章を綴っています。

「思いやる方と思われる方とでは、やっぱりその立場になってみないと見えてこないもの、わからないものがある。僕は両方を経験してみてわかった」

「人は来るべきときが来て、その時初めてその痛みを知る」「毎日、空を見てる。どんな空も綺麗で、僕は空に抱かれて生きている。今日も、明日も、これからもずっと」

「思いやる方と思われる方。僕は両方を経験してみてわかった」は、中学生までは母親に守られ、ジャニーズ入所後は自分が家族を守ってきた。守る側になって大変さが分かった。

「人は来るべきときが来て、その時初めてその痛みを知る」は、母親はずっといるものだと思っていたけど、死が現実になり心が押しつぶされるような痛みを知った。

「毎日、空を見てる。どんな空も綺麗で、僕は空に抱かれて生きている。今日も、明日も、これからもずっと」は、空を母親に例えたのでしょうか?これからもずっと母親を忘れることはないということでしょうね。

私なりの解釈ですが、三宅さんの言葉は深いですね。テレビで見せるキャラとは全く違う印象を受けます。

三宅さんの母親の死を伝える「週刊女性」の記事の中では、三宅さんを支える女性の存在が明かされています。

葬儀場に訪れたV6のメンバーの写真を掲載するなど横並びの記事の中で、「週刊女性」は三宅を支える女性の存在をスクープしている。

その女性とはいったいなんでしょう?

 

三宅健の母親の死去を支えたのは熱愛相手の河村和奈!

三宅健さんを支えた女性は、河村和奈さん。

ここで、一躍脚光を浴びた形となった河村和奈。ただ彼女の名前を聞いても、ピンとこない方が多いと思われる。彼女は1978年生まれの31歳。学生時代から、テレビ東京の『喝! リベンジナイト』でリベンジギャルとして活躍後、さらに第5期ワンギャルとなった。

記事には、河村和奈さんの名前を聞いてもピンとこない人が多いと思われると書かれていますね。

失礼な・・・と思いましたが確かにピンときません

河村和奈さんよりもお父さんの方が有名だそうで、記事では大物だと紹介されています。

河村の父親は、松崎しげるや松本伊代を輩出した「ボンド企画」という芸能プロダクション(92年に倒産)の社長を務めた、高杉敬二氏。96年には、新たな芸能事務所「BMI」を立ち上げ、故・本田美奈子.をアイドルからミュージカル女優へと成長させた立役者として、芸能界でも一目置かれる存在だ。

河村さんの父親は、芸能事務所の社長さんだったそうです。数々のタレントを輩出し、秋元康さんと組んで「おニャン子クラブ」を世に送りしたのも、河村さんの父親である高杉敬二さんだったそうです。

三宅さんは、母親の死からしばらく憔悴しきっていたそうで、河村和奈さんはずっと側で支えていたそうです。

葬儀から2日後、彼の自宅マンションからふたり並んで一緒に出てきた女性が河村だった。初夏を思わせる陽気に、フレンチスリーブにミニスカートというフェミニンな装いで、三宅に寄り添うように歩く。ときおり傷心の彼を元気づけるように話しかけては、三宅の方も自然に笑顔を返すなど互いに心を許す大切な存在と思われた。

2人が寄り添う写真があるそうなのですが、残念ながら見つかりませんでした。

2人は一緒に散歩にも出掛けていたそうで、近隣の住人に目撃されたそうです。

近くの公園でも、「石段に二人がなかよく並んで腰かけていましたよ。ジュースを飲みながらすごく盛り上がっていたようでしたし、ときおり、見つめ合ったりしていました。なんだか、高校生のカップルみたいで、とてもほんわかムードでした」という、はた目から見てもいい雰囲気が伝わるような近隣住民の話も得られていた。

2人は高校生カップルみたいに爽やかで、ほんわかムードだったそうです。無理に励ますとかではなく自然と寄り添っていたんですね。

河村さんが母親の死から立ち直るきっかけになったということは、強い信頼関係で結ばれていると考えていいでしょうか。

2人の出会いのきっかけは何だったんでしょうか?

 

2人の出会いは本来ありえなかった!

2人の出会いは、共通の友人である小野真弓さんがきっかけだったそうです。

「タレントとしての知名度や活躍の場を考えると、三宅と知り合うこと自体が不思議。共通の友人である小野真弓の存在がなければ、出会えなかったカップルでしょうね」

小野真弓さんといえば、以前、三宅さんと交際の噂があったようですが、小野真弓が河村さんを紹介したのなら、恋人ではなく恋のキューピットだったんですね。

三宅健さんは母親の死からまだ立ち直ってはいませんでしたが、「週刊女性」が河村さんとの交際について直撃取材を行いました。

まさに鬼畜の所業とも思えますが、ファンなら気になってしまいますよね…。

 

彼のコメントは?

三宅さんは、「週刊女性」の直撃取材に答えたようです。

彼女との関係を三宅本人に聞いたところ、「どなたのことですか?」とすぐさま交際を否定。

記者に対し、河村和奈さんのことを知らないと答えたそうです。もし、2人が交際していた場合、河村さんはショックを受けてしまうんじゃないでしょうか…。

河村和奈さんはどうコメントしたのでしょうか?

 

彼女のコメントは?

河村和奈さんは、三宅健さんとの交際疑惑にコメントしませんでしたが、所属事務所がコメントを出しています。

一方、河村の所属事務所も「知人の一人と聞いています」と友人関係であることは認めたものの、交際は否定した。

三宅さんとは友人関係で交際は否定したそうです。確かに憔悴しきった三宅さんを支えてはいたでしょうが、恋人らしい行動は目撃されていません。

2013年5月、河村和奈さんは風間俊介さんと結婚。

三宅健さんと河村和奈さんの熱愛を報じた「週刊女性」は、風間俊介さんとの結婚報道の際に三宅健さんとの交際疑惑を改めて河村さんの所属事務所に質問したそうです。

かつて報道があった三宅については「友人のひとりだと聞いています」と、変わらず友人関係を強調していたという。

河村さんの事務所もいい加減しつこいと思ったでしょうねw

河村さんが支えたお陰で三宅健さんが母親の死から立ち直れたのなら、恋人であっても、ただの友人であっても、三宅さんは今も感謝しているでしょうね。

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